今日は Calculus のクラスの final があったので、それを担当していた TA は朝から晩まで試験監督やら grading やらをやっていました。
(ちなみにこのクラスは毎学期20個かそれ以上同時に開講されまして、1つのクラスあたり受講者は100人を超えます!)
丁度一年前は、僕もこの Calculus のクラスを担当して final の grading を初めてやったので、なんか少しだけ懐かしいです。
さて、今日は久しぶりに英語に関して。
なんだかんだで、もうこっちに来て一年半が経ちまして、来たばかりの頃を振り返ってみると、確かに英語はかなり上達したとは思います。
でも、やっぱり実感が本当にないんですよね。
来たときから、人と英語で会話することに全く抵抗がなかったし、自分の(貧弱な)英語を恥ずかしいと思ったこともなかったから、僕は、ここアメリカで英語で苦労した経験がないんです。
人は、「初めは本当に苦労した」ものが、いつの間にか「楽に出来るようになった」と感じるとき成長を実感するものだろうから、初めから何も苦労しなかった僕は「英語が出来るようになった」と思ったことがほとんど無いんですね。
・・・さて、で、具体的にどれぐらいかですが、まだまだ全然、native speaker の足許にも及びません。
実際、いまだに、数学や Ph.D. とは全く無関係の話題は全然分かりません。
(というと言い過ぎですがでも理解度は50パーセントより確実に下です。話題に依っては20パーセントぐらいです。)
まあこれは、数学以外の話は興味がないからしない、また頑張って理解しようとしない、というのが一番の原因と思いますが。テレビや映画も一切見ないですしね。
Speaking の方は、まあほぼ fluent と言っても多分詐欺とまでは言われないレベルですが、でもある程度難しい話はしっかりと伝わるレベルからはまだほど遠いです。
(もちろんある程度は向こうも分かるでしょうが、でも細かいニュアンスとかは絶対に伝わりません。)
多分、今 TOEFL を受けても(120点中)100点ぐらいは取れるとは思うけれど、でもせいぜいその程度です。英検一級も、受かるかも知れないけれど、でも一発で受かる自信はありません。
・・・まあ、でも、僕にはこれで十分なんです。
前も似たようなことを書いたけれど、英語など所詮は道具に過ぎないわけで、だから扱う者によってその価値は変わるもの、なんです!それこそ100倍かそれ以上に。
外資系金融で働こうとか思っても、英語力に加えて、営業力やコミュニケーション能力、知性や学歴があってこそ意味があるのであって、「英語が出来るだけ」では何の意味も無いんです。
僕の場合は mathematician (の卵またはヒヨコ)だけれど、これにしたって、プレゼンテーションの能力がずば抜けてあれば、発音さえしっかり出来していれば native speaker を遥かに凌ぐ講義が出来るし、数学の話なんて難しい単語は一切要らないし、だから今のレベルでお釣りが来ます。
・・・さらに、最近思うことだけれども、「それを獲得するためにどれだけ努力したか」によっても価値は変わるんです!
昔は、帰国子女に劣等感とコンプレックスを感じたような時期もあって、英語がペラペラなのに嫉妬を覚えたけれど今はそんなことはもう全くないです。
たとえば小中高の12年間を英語圏で過ごした人の英語力にはあと10年掛かっても及ばないかも知れないけれど(というか一生及ばないでしょう)、なんの苦労もなく自然に身に付けたものと、膨大な時間をかけて努力して苦労して身に付けたものでは、その人にとっての重さが全く違うんですね。
「Ph.D. で初めて英語圏に来た」ことは、本当に圧倒的な disadvantage だけれども、でも、その絶対のハンデにもかかわらず、まず誰にも真似できないであろう teaching evaluation を貰ったことは今の僕の誇りであり自信の源(の一つ) です。
前も書いた気がするけれど、圧倒的なハンデを背負いながら、teaching でも research でも truly outstanding になるからこそカッコイイのですよ!
(男のロマンですよね!)
・・・さて、ではこの辺で。