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はじめに
筆者すのうは日本の修士を出たのち、2012年秋から2017年春までの5年間 University of California, Irvine(カリフォルニア大学アーバイン校、以下 UC Irvine)の Ph.D. に在籍していました。アメリカの Ph.D. は本当に素晴らしいところですが、それにも関わらず Ph.D. 留学をする日本人学生は本当に少なく、数学に限定すれば恐らく年間に数えるほどです。(私は Ph.D. 在籍中に conference などでアメリカの大学を15校以上訪れましたが日本人の Ph.D. の学生に出会ったのは一度だけです)。もっともっとアメリカの Ph.D. に挑戦する学生が増えて欲しいという願いを込めて、覇気溢れる後輩諸君に向け、その魅力や入学方法などについてここにまとめて書いておくことにします。(今までのブログの記事をコンパクトにまとめたものです。)
諸注意など
(1)ここではあくまで、アメリカの「数学の」Ph.D. 特有のことについてメインに書きます(数学には実験がないため、その他の理系の分野とは事情がかなり異なります)。アメリカの Ph.D. 留学についての一般的なことはインターネットや以下の書籍などを覗いてみて下さい:
a)超☆理系留学術
この本だけは必ず読んでおきましょう!
b) 理系大学院留学
この本もざっと目を通しておいて損はありません。
c) 留学入試エッセー
エッセーの書き方が解説されています。どこまで参考になるかは分かりません。(私には特に参考にはなりませんでした。)
繰り返しますが、理系の Ph.D. の中で数学はかなり特殊です。ですので、上の書籍(やインターネットなど)で「これは必ずこうだ」と断定的に書かれていることでも数学での留学には全く当てはまらない、ということが多々あります。 それだけは注意してください!
(このブログに書かれていることと他の記事とに discrepancy があった場合はまず間違いなくこのブログの方が正しいです。2019年現在、数学の Ph.D. 留学に関してこのブログより詳しく正確に書かれた日本語の記事は存在しないと思います。)
(2)この記事は引用するもリンクを貼るも Facebook でシェアするも全て自由です。ただし、その利用に関しては各自の責任で行っていただくようお願いします。
(3)数学のアメリカ Ph.D.留学に関する記事は既にあるにはありますが(数学の Ph.D. 留学を目指してこのページに辿り着いた人であれば既に読んでいるでしょう)、それはそれこそ桁違いに優秀な先生によって書かれたものであって、普通の学生にはまず当てはまらない、かなり misleading であると言わざるを得ない記述が散見されます。
(余談ですが、私は学部生のときにその記事(と非公式版履歴書)を読んで、自分のような凡才には留学なんて無理だと思ってしまいました ^^;)
Ph.D. 留学の魅力
(1)給料が貰える:まず最初に声を大にして言うべきことですが、アメリカの Ph.D. は授業料はタダ、そのうえ給料(stipend と言われます)が出ます! 金額は大体新卒の初任給と同じぐらいです(ただしボーナスはありません)。 アメリカ内で上位100位ぐらいまでの大学であれば、Ph.D. に合格すれば通常どこでもこの待遇が受けられます。
(2)英語が身に付く:アメリカに留学するわけなので当然ですよね。
(3)Teaching の経験が積める:あとで詳しく書きますが、Ph.D. の学生は TA(teaching assistant)として働くことによって給料を貰っています。 確かに時間は取られますが、英語やプレゼンテーション能力を鍛えるのにこれ以上のものはないでしょう。
(4)待遇が良い:Ph.D. の学生は、給料が貰えるだけでなく健康保険もタダですしジムなどの設備も全て無料で使えます(ジムは巨大で設備は恐ろしく充実しています)!皆、自分たちは student ではあるけれども同時に worker でもある、という自覚もあり、一般にアメリカの Ph.D. の学生は日本の学生より遥かに明るく前向きです。特に international の学生の場合は Ph.D. だというだけで人から一目置かれます。
(5)強固なネットワークが出来る: アメリカの大学院では、世界から第一線の数学者が来てセミナーなどで talk をする、ということも毎週のようにあります。自分が他大から seminar talk に呼ばれることもありますし、また conference に行ける機会も多いです(後述)。まだ若いうちから縦と横に太い人脈が築けるメリットは計り知れません。
(6)授業が充実している:これもアメリカの Ph.D. の大きな魅力の一つで、例えば UC Irvine では、代数、多様体、(一変数)複素解析、測度論、代数幾何、微分幾何、位相幾何、関数解析、偏微分方程式、確率論、確率過程論、などは大体毎年開講されます。どの授業も基礎から始まり、一年間でその科目がしっかりと学べるようになっています。宿題も出るので時間もかなり取られますが、その分本当に力が付きます。卒業に必要な単位を取ったあとも、自分の勉強のために一学期に一つぐらいは授業を取る学生が多いです。
(7)教育を大切にするカルチャーがある: 上とも関連しますがアメリカの大学は teaching を非常に大切にします。私は個人的に “outstanding mathematician should be outstanding both at research and teaching” だというポリシーを持っていますが、アメリカには同じように考える先生も多いです(もちろん全員ではないですが)。アカデミアへの就職の際も teaching record は非常に重要です。
(8)先生が優秀:アメリカの大学の professor の研究能力は例外無く桁違いに高く、一流大学にはフィールズ賞クラス(かそれ以上)の数学者がひしめいています!UC Irvine レベルであっても tenure を得るのは東大で professor になるより遥かに難しく、当然のことながらそれは extremely competitive です。
(9)学生と先生との距離が近い:アメリカの大学では、先生は皆、週に2、3時間ほど office hour を設けていて、その時間であれば学生は自由に先生の office を訪れて宿題の質問などをすることが出来ます。先生のことも first name で呼ぶアメリカのカルチャーも手伝ってか、非常に健全かつ pleasant な関係があります。指導教官選びにおいても、学生は事前に先生の人柄や自分との相性をしっかり見極めることが出来るので失敗は少ないです。
(10)Diversity に富む:アメリカの大学には、学生も professor も世界中から様々な background を持った人が集まります。そしてそれは理屈抜きに面白いです!女性の比率も日本より遥かに高く Ph.D. の学生も3割程は女性です。
(11)仲が良い:アメリカの Ph.D. は縦と横のつながりが非常に強く、週に一回は department tea といって先生と学生が集まってわいわいやる時間がありますし、ことあるごとにちょっとしたパーティーなども開かれます(全て無料です)。また、どこの学科でもだいたい学生と先生の合同のサッカーチームなどがあります。
(12)企業への就職が容易:アメリカでは Ph.D. ホルダーは非常に高く評価されます。たとえ tenure track から脱落した場合ですら、そこから条件の良い企業へ就職することが可能です(その場合でも通常は生涯賃金は大学の professor を超えます)。日本に戻ってくる場合でも Ph.D. を取ったことが不利になることはまずありえません。理系の頭脳、英語力、プレゼンテーション能力、さらに異国に挑戦しに行くガッツまで持った学生なんて今の日本にそうはいないですから、そういった人材が喉から手が出るほど欲しいと思う会社はいくらでもあるでしょう。
(13)Conference に行ける機会が多い:Department もしくは advisor がたくさんお金を持っている場合にはタダで好きなだけ conference に行くことが出来ます!そうでない場合でも conference が旅費、滞在費を出してくれることも多いです。Conference は他大学の先生や学生と知り合うことが出来る素晴らしい機会です。滞在中にはもちろん観光も出来ます!
(14)キャンパスが美しい:アメリカの大学のキャンパスは巨大でかつとても綺麗です(例外も多少ありますが)。暖かな晴れた日は芝生に寝そべって本を読んだり勉強したりしている学生をたくさん見かけます。動物も住み着いていて、リスやウサギはもちろん、大学によってはハチドリやアライグマ、更にはシカまで見ることが出来ます!また、町も綺麗なところが多く、例えば UC Irvine のある Orange County にはアメリカで(またはひょっとすると世界で)最もお金持ちの人たちが住む場所もあり、キャンパスから車で15分ほどのところにあるビーチは理想郷かと思うほどの美しさです。
Ph.D. 留学に必要な数学力
まず最初に、アメリカの Ph.D. へ入学することは恐れるほど難しくはない ということは強調しておきます。 たしかに、トップ校(Harvard, Princeton, Yale, UC Berkeley, UCLA, etc)への入学は非常に competitive ですが、一ランクか二ランク下の大学であればそこまで難しいわけではありません。旧帝大レベルの大学を良い成績で卒業し、かつ TOEFL で90〜100点あれば、一ランク下の大学(UC Irvine, Penn State, University of Southern California, Virginia Tech, etc etc)であれば、10校程度出願すればまず間違いなくどこかは引っかかるでしょう。また、たとえば修士過程に在学していて、既に専門的な勉強、研究を始めていて何かしらの結果があるのであれば、トップ校に合格を貰うことだって十分にあり得るでしょう。
UC Irvine を例にとって Ph.D. の学生 (international) のレベルについて具体的に書いてみましょう:UC Irvine の数学科は、アメリカの大学院の中で大体40位〜50位ぐらいにランクされます。Ph.D. の学生は3年目の初めまでに qualifying exam(qual と呼ばれます)に合格する必要があります。Real Analysis、Complex Analysis、Algebra の3つのうち2つの試験をパスすれば OK です(試験問題はホームページで公開されています)。 International の学生であっても、入学した時点で qual をパス出来るだけの力を持った学生は本当に少数です(試験を一つだけパスする学生は少しいます)。一年目には、大体皆いくつかそういった基礎的な授業を取り一年目の終わりに qual を受けます。一年目から本格的に研究が出来る学生は事実上ゼロです。指導教官は一年目の終わりか二年目の初め頃に選ぶ人が多いです。
これで、アメリカの Ph.D. など(はっきり言って)大したことないということが分かってもらえたのではないでしょうか。アメリカの Ph.D. は、天才的な才を持つ選ばれた人たちのためのものなどでは決してなく、 勤勉で努力家で、かつ異国の地に挑戦しに行く(ほんの少しの)勇気とガッツを持った人たちのためのもの、なのです!
Ph.D. 留学に必要な英語力
Ph.D. の学生は英語で授業までしなくてはいけないので(後述)、当然ながら入学にはそれなりの英語力が必要です。
- 留学経験も何もなければ東大生であっても speaking は絶望的に出来ない
- speaking の訓練は渡米前にどんなにやっておいてもやり過ぎということはない
- 留学開始時点での speaking の力があればある程上達のスピードが早い
の3つは初めに強調しておきます。日本にいるうちに膨大な量のトレーニングを積んでおきましょう(英語で授業をするのですから!)。
具体的には
(1)短く簡単な英文を(大量に)音読、暗唱する(Duo などとても良いです)
(2)比較的簡単な洋書を読む(オススメは Darren Shan(全12巻+番外編4巻), Harry Potter(全7巻), Deltola Quest(全8巻+続編), Twilight(全4巻), Something Borrowed(全2巻), Master of the Game(全1巻), Holes (全1巻), Dear John(全1巻)など)
(3)情報はなるべく英語で得るよう心がける
TOEFL は大変な試験です。生半可な英語力では太刀打ちできません。足切りを100点に設定している大学もありますが(UC Irvine は84点)、この100点という点数、東大に合格したばかりの(留学経験のない)高校生で取れる人は1%もいないかも知れません。危機感を持って、太く長く英語を勉強しましょう!^^
Master について
Ph.D. にいきなり合格する力がない場合は、一旦 master に入学しそこから Ph.D. を目指す、ということも可能です。 Master の学生は通常は学費免除にはならないですし給料も出ないですが、その分入学は Ph.D. より遥かに容易です。 UC Irvine 程度であれば、学部2年生までに習うような基礎的な数学(線形代数、関数の収束、距離空間、集合論の初歩、一変数複素解析の基礎 etc etc)をある程度しっかり分かっていて、かつ TOEFL で70点ぐらいあればかなりの高確率で合格出来るでしょう。Master には、学部では違うことを専攻をしていたけれど大学院からは数学を学びたい、と言って来る人も多いです。UC Irvine の数学科では、master で2年間学んだあとにそのまま Ph.D. に編入する(または他大の Ph.D. に行く)、という学生が毎年数人います。
大学選びについて
アメリカには良い大学がたくさんあるため、どこに出願するか悩む人も多いでしょう。既に研究を始めていてつきたい先生が決まっていれば話は簡単ですが、そういう人ばかりではないと思います。何を専攻するかまだほとんど決まっていないのであれば、なんとなく気に入った大学に5校〜10校程度出願すれば良いでしょう。上に書いた UC Irvine のレベルと、アメリカの大学の数学科のランキングなどを見れば、どのあたりならば受かりそうかある程度の見当は付くと思います。挑戦校、安全校、実力相応校、それぞれ1校〜4校ぐらい受ければ十分でしょう。 何を専攻するか決まっている場合には、その分野が強い大学を選びましょう。ランキングで上位の大学が全ての分野に強いわけではありませんし、ランキング自体はそこまでではなくても、ある特定の分野は世界トップレベル、ということは多々あります。(ですので大学のランキングには大した意味はありません。「誰のもとで」「どんな研究をしたか」の方が遥かに重要です。) 事前コンタクトは、誰につきたいか決まっている場合以外は特にする必要はありません。実際、事前コンタクトをする学生は非常に少数です。
出願について
合否決定は、TOEFL、GRE General、GRE Subject の3つの試験と、statement of purpose と言われる作文、大学での成績、推薦状、などを総合的に判断して行われます。ここでは GRE と推薦状についてのみ書きます(それ以外は他の理系とほぼ同じなので省略します)。
GRE General
数学科の場合は、GRE General(の英語)はほぼ考慮されません。私は出願を考えている10校程度にメールで聞いてみましたが、GRE Verbal を多少なりとも考慮する、と答えた大学は僅か1校でした。算数だけは満点かそれに近い点数を取っておきましょう(算数の基礎的な英単語さえ分かっていれば容易です)。GRE Verbal で(非常に)悪い点を取ってしまった場合は、念のため admission committee の chair にメールしてその点数で問題ないかどうか確認しておくと良いでしょう。
GRE Subject(math)
受けなくても良いという大学もありますが、上位50位ぐらいの大学であればだいたいどこも必要です。受験前に必ず過去問を何年分か解いておきましょう。 ところで、受験会場は全国に3つしかないため(2011年当時)、この試験にはお金と時間がかかります!(当時の試験会場は確か沖縄と福岡と北海道でした!)
推薦状
理想は prominent な先生に強い推薦状を貰うことで、それが出来れば非常に大きな advantage になります。ただ、そういった推薦状を書いてもらえる先生がいる人はそう多くはないと思います。その場合には推薦状で高いポイントを稼ぐことは無理と割り切って、大学の成績や GRE Subject などを頑張りましょう。そのときには推薦状は、自分のことをある程度知っていてかつ自分に good impression を持っている(と思われる)先生に頼めばよいでしょう。
余談ですが、中には「サインだけするから自分で書いて持って来なさい」と言う先生もいます(アメリカではこういうことは絶対にありません)。これは何も日本だけのことではなく、外からの applicants の中には多かれ少なかれ推薦状を自分で書いたという学生がいますし、それは大学側も重々知っています。そのため、(たとえどんなに褒めちぎってあったとしても)名前も聞いたことがない先生からの推薦状は大して意味を持ちません。
TA について
アメリカの Ph.D. の学生は TA として働くことによって給料を貰っています。TA の仕事は一週間に20時間(あくまで契約上であって実際にはそんなにかかりません)で、大体、講義が50分×4、office hour が120分、quiz(小テストのこと)の作成と採点が120分、授業準備が10分〜300分(担当する科目、慣れ、性格、teaching にかける情熱、などによって大きく変わります)、その他(学生の email に答えるなど)が60分、といった感じでしょうか。UC Irvine では、international の学生は英語の oral の試験をパスするまでは TA の仕事は貰えず、grader として宿題の採点をして給料を貰います(その場合、額は TA のそれより700ドルほど安いです)。一年目は grader で二年目から TA として働く、というパターンが多いですが、何年経っても英語の試験に受からずずっと grader のまま、という人もたまにいます。UC Irvine では、平均的な international の学生の場合は一年目以外は大体常に TA として働きますが、applied math を専攻していて advisor が grant をたくさん持っている場合はほとんど TA をやらないということも稀にあります。また、大学に依っては、お金があり余っているので Ph.D. の学生はほとんど TA として働く必要がない、ということもあるようです。(UC Irvine のような public school は今はどこもお金がないのでそういうことはありません。) TA の仕事は確かに時間は取られますが、英語力、プレゼンテーション能力を鍛えることが出来る、teaching の経験が積める、教えることで自分の勉強になる、社会に貢献しているという実感が持てる、など数多くのメリットがあります。Burden だと捉えるのではなく、「素晴らしい経験をさせてもらっている」と positive に考えるべきです。
蛇足ではありますが、teaching evaluation に「こんな英語の下手なやつに教えさせるな」と散々書かれるようなら、それは100%書かれた側が悪い、ということは強調しておきます。アメリカの大学は、たとえ州立であっても学費は日本より遥かに高く、学生の多くは loan をしながら大学に通っています。卒業の時点で500万以上の借金を抱えた学生も全く珍しくありません。そんな学生の払う学費から給料を貰うわけですから、それに見合った、彼らに感謝されるような仕事をするべきです。日本の大学にはしっかりとした授業が出来ない先生が多いですが、それはプロとして恥ずかしいことです。そういうのを真似してはいけません。
アカデミアへの就職について
アメリカの research university の professorship を目指す場合に限定して書きます。 Ph.D. 取得後、事実上全員が postdoc(visiting assistant professor と呼ばれることもあります)という任期付きの研究員になります。アメリカの場合は、research だけしていれば良いというポストはほぼゼロで、必ず teaching があります。最近はアメリカの postdoc の任期はどこもだいたい3年です。一度目の postdoc のあとすぐ tenure track の Assistant Professor になる人もいますが、別のところでもう一度 postdoc をやる人も多いです。アメリカの良い research university に permanent の職を得るためにはこの期間にしっかりとした業績を積む必要があります。Postdoc から tenure track への transition が最も難しく、postdoc が終わった後に企業に就職する、という人も多くいます。