数学

数学をするということ

さて、数週間前の常軌を逸したあのとんでもない勢いはどこへやら、ここ数日は少々鬱気味です。


まあ、前も書いたけれど、毎日毎日数学しかやってなくて、他に娯楽とかなんにもないから必然的に躁鬱のケがあるのは当然ですが。

芸術でも音楽でもなんでもそうだと思うけれど、これは、何か一つのことを極めんとする人の宿命ですね。。


・・・さて、今日は、忘れないうちにこの前 adviser と話した事を書き留めておきます。


僕らみたいな師弟関係って相当珍しいと思うんですが、一緒に coffee break とか行くし、そのときにたまに人生の話をしたりすることもあるんですね。


彼は静かに話す人だし、激高した事なんて人生で一度もなさそうだし、態度もとっても穏やかだから、僕らって傍目には随分違って見えると思うんですが、根っこのところは結構似てるんですよね。


まあとにかく、僕なりに彼の言った事を纏めると


1)「ずっと数学をやっていると、ふといつしか、数学の研究というものがルーティーンになっていると気付くときが来る。」

2)「数学の研究の進展とというものはある種の必然性があって、だから自分がやらなくても、それは遅かれ早かれ他の誰かによって解かれるものなのだ、ということにも気が付く。」

3)「昔の本当に優秀な数学者の書いたものを読んでみるといい。ポアンカレの本は(英語が難しくて)読めなかったみたいだけれど、グロタンディークが書いた本があって、それには彼の葛藤が書かれていて非常に興味深い。君(僕のこと)は是非読んでみるといい。」

4)「超一流の大学の数学者は本当に凄くて、conference などで彼らが数人集まっていると形容出来ないような異様な空気になる。これから先、Princeton などに行く機会があったら是非体感してくるといい。」


といった感じでしょうか。


2)に関しては、これは考えた事がなかったですが、あーなるほどな、と思いました。

アインシュタインがいなかったとしても、遅かれ早かれ別の誰かが相対性理論を発見していたと言われていて、だから我々凡才はいわずもがな、なのでしょうね。


3)は、はい、今度日本に帰ったときに(日本語で)読みます!

数学書は英語で読んでいる事を意識すらしないですが、まだまだこういう本は英語で読むにはとっても疲れます。

(日本にいたときによくあれだけ大衆小説を読破したな、と我ながら感心します!笑)



・・・さて、書き漏らした事も結構あるんですが、今日はこの辺で失礼します!


ではではー☆

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